いろは椿
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2013/08/15 (Thu) 巡る先には

「樅の木は残った」を、帰宅して少しずつ読んでいます。一気に読んでしまうと集中しすぎて本当に本しか読まないたちなので(そして他の用事をそっちのけにしてしまう)、わざと少しずつ。

歌舞伎の原田甲斐は確か悪人なのですが、この作品では捉えどころのない、でも奥が深そうで魅力的な人物として描かれていて、まだその全容は分かりません。今日読んだ部分に共感したので、留めておきます。

甲斐が、両親を暗殺された幼い姉弟に接し、国許へ帰る前の挨拶に寄った際の内心の声。
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私は父に死なれただけだが、おまえと宇乃は両親に死なれた。家もなく、たよる親族もない。幼ないおまえにも、どんなにこころぼそく、どんなに悲しいかは私にわかる、と甲斐は心のなかで云った。
— けれどもそれで終わるのではない、世の中に生きてゆけば、もっと大きな苦しみや、もっと辛い、深い悲しみや、絶望を味わわなければならない。生きることには、よろこびもある。好ましい住居、好ましく着るよろこび、喰べたり飲んだりするよろこび、人に愛されたり、尊敬されたりするよろこび。
— また、自分に才能を認め、自分の為したことについてのよろこび、と甲斐はなおつづけた。生きることには、たしかに多くのよろこびがある。けれども、あらゆる「よろこび」は短い、それはすぐに消え去ってしまう。それはつかのま、われわれを満足させるが、驚くほど早く消え去り、そして、必ずあとに苦しみと、悔恨をのこす。
 人は「つかのまの」そして頼みがたいよろこびの代りに、絶えまのない努力や、苦しみや悲しみを背負い、それらに耐えながら、やがて、すべてが「空しい」ということに気がつくのだ。

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(山本周五郎「樅ノ木は残った」(上)新潮文庫より引用)

続けて、だから仏門に入って信仰に打ち込めば救いがある、と結ぼうとした彼は、果たしてそう言い切れるのか自問して、この心の呟きは終わります。

何かに頼っている限り、結局対症療法にしかならないのかもしれません。
所詮、空。ということを受けとめて、自身の中の空っぽと向き合うしかないのかなと感じた一節でした。

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冷静と情熱の間で彷徨う日々です。解らなかったことが水滴同士のようにぴたっとつながる瞬間が好き。お仕事は横文字に浸かって、趣味で上方舞を続けています。

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