いろは椿
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2011/06/26 (Sun) 初貴船

今日は日曜らしい日曜でした。夏が巡る度に気になっていた貴船はこれまで機会も無いままでしたが、友人が京都に滞在中なのでちょうど予定が合い、遊びに行ってきました。

京阪出町柳駅から叡山電車で貴船口まで。山を登って神社の辺りというのはもっと閑散とした様子を想像していたのですが、一種温泉街のように川床の料理屋さんが立ち並んでいるのですね。

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たまたま当日予約が取れたお店が川の上流の方でした。青楓の折り重なった緑が目に鮮やかで、話し声がかき消される程の水の音。

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川床は割高だし暑い(水蒸気で湿度が高い)といった感想を聞いていたのでしたが、思いの外涼しくて爽やかでした。お料理の量はやや少なめかもしれませんが、個人的にはとても寛げました。団体さんが入るとお店はどうしても手薄になるようだったので、お料理が出て来る間を気にせずのんびり構えて行くに限ります。


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そして、貴船神社へ。地歌にその名も『貴船』という作品があり、行ってみたかった場所です。能『鉄輪』を地歌舞に取り入れた『鉄輪』という作品があります。こちらも能うつしの本行物として非常に重い習い物ですが、『貴船』として上演する場合、山村流では前段を能の通りの「貴船」とし後段を地歌「鉄輪」として上演する秘曲としている、と伺ったことがあります。
筋としては、夫の心変わりを恨んだ前妻が、貴船神社に丑の刻参りに行くもので、いわゆる後妻打ちなのですが(うわなり、は一文字だと女男女と書くんですよね...変換対応できません)、いかにも鬱蒼とした杉木立が、まさにその舞台に似つかわしい様子でした。それにしても、変心したのは当の男性なのに、恨みはほんの一部そちらに向かいはするものの、大半は(激しく)後妻に向かうというのが、女性の哀しさです。
画像は鳥居側なのですが、ポスター等でよく使われるのはこちらではなくて明るく長い階段の方。でも、何だか丑の刻参りのイメージにはこの傾斜と暗さが合うかな?と思ったり。

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神社境内の七夕飾りの様子。いくつもあって、短冊の可愛らしい色合いにちょっと和ませてもらいました。本当は、この神社には縁結びのご利益があるようなのですが、悪縁切りというのも内容に含まれるのが面白い所です。

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6月30日まで置かれている茅の輪。正面から、左方向に1回、また正面に戻って今度は右方向に1回、最後に左方向に1回、本来は決められた言葉を唱えながらくぐるそうです。水無月だけのことなので、とりあえずくぐってみました(ちなみに写っているのは全く知らない方々です。常に人がくぐっていました)。最も気になるのはこの回る方向の意味です。例えば沖縄で、古来の家では門を入って玄関の前に石の壁があって、どっち回りがどう、という決め事があるという話を読んだ記憶がありますが、これもそういう何かがあるのかしら、と。

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余談ですが、水占(みずうら)なるおみくじがありました。枠だけの紙を水に浮かべると文字が浮き出ます。そして今日は珍しく大吉でした。些細なことが意外と嬉しいものです、笑。画像は野草のユキノシタと。

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2011/06/13 (Mon) 子供の時間

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読み進むにつれて、この著者の方はどうしてこんなに私の言いたいことが分かるんだろう?という思いをすることが時々あります。それはきっと何百万の読者が思っているので、結局、個性とかユニークな差異というのはごく一部分で、人間似たようなことを考えているのかもしれません。

さて、子供の時の時間は長い、というくだりで、思い出したことがありました。
一年の長さは、1歳の時は1/1、5歳の時は1/5、だから大人になると時間が経つのが早いんだという言葉。
発言したのは80代の歴史学者の方でしたが、"Mais, qu'est-ce que tu dis? C'est pas scientific!"といった調子で理系の息子さん達に反論されても、「でもそうとしか思えないよ」とおっとりと構えていらしたのが印象的でした。私は「ああそうだなあ」と共感して、育つにつれての時間感覚と、自分の感情の消費が加速度的になっている事実に対する回答をもらったような気がしたものです。

子供の時の幸せな記憶、といって思い出してみると、5歳位を境に醒めていってしまったような気がします。でも、長いなあと思って過ごしていた幼い頃の時間は凝縮して、小さな種が記憶の中にいくつも転がっていて、忙しい時だったりぼんやりしている時だったり、タイミングは不問なのですが時々ゆるゆると発芽して咲いては「そっか、あれがあったんだからいいか」と和んだ気持ちにしてくれることがあります。走馬灯のような大人の時間を、中和してくれているようです。

画像の睡蓮は、昔から家の庭の隅にある水たまりとも沼ともつかない池に咲いています。後から植えたので、昔は藻くらいしか無かったのですが、蛙が産卵するのにちょうど良かったらしく、季節になると小指の先より小さなアマガエルがたくさん育ち、石垣を上ったり泳いだりしていました。元来、両生類や爬虫類が好きだからだと思いますが、薄翠色に透き通っていて何ともいえない程に綺麗で愛らしい生き物でした。不思議なもので、就学年齢前に会った人の顔は覚えていないのですが(少なくとも個人的には、覚えていると思っているのはずっと後になって見たアルバムの写真がきっと記憶を補完しているのだと思います)、その時限りの筈の動植物を目にしたり触ったりした記憶は極めて鮮明です。

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冷静と情熱の間で彷徨う日々です。解らなかったことが水滴同士のようにぴたっとつながる瞬間が好き。お仕事は横文字に浸かって、趣味で上方舞を続けています。

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