いろは椿
2010/06/29 (Tue) 穏やかな日々

先日から、今年の四月に亡くなった多田富雄氏の本を数冊積んだままにしていましたが、やっと少しずつ読み進めています。ゆっくり本を読む時間を疎かにしていた分、言葉が滋養となって吸い込まれていくようで、脳が活字の砂漠状態になっていたのねと反省しました。
奇を衒わず、自身とまっすぐ対峙するような氏の文章が、対象に鋭くも優しい視線を向けているのを感受するのは、非常に心地よいものです。

つくづく、当たり前のようでいて「何も起きない」ということは本当は幸運なことだと思ったことはありませんか。
朝起きる、ご飯を美味しく食べる、ちょっと仕事したりちょっと好きなこともして、一日を営んでまた眠る。
その中で、毛筋ほどの差で、事故に遭わずにすり抜けている瞬間があったり、細胞の免疫反応が身体を守ってくれていたり、絶妙のバランスで綱渡りしながら生きているんだなと思うと、わざわざ身体に悪いことをしたり、人生の無いもの探しをしたり、エゴで人に嫌な思いをさせるようなことはやめないと、人生に不遜だという気になります。
(あ、無いもの探しとは、夢を追うということではなくて、欲にかられての話です。)

身の丈とか「分」という言葉は、個性尊重の時代が加速する中ではあまり言われなくなりましたが、不自然なことはしないという点で、根本にかえってみても良いと思います。

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2010/06/27 (Sun) この季節

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大阪ではさすがに梅雨らしい天気が続いていても、晴れると暑さは既に夏並みです。
大人になると「何月」というのは数字で捉えているうちに過ぎていく気がしますが、子供の頃はその月その月が感覚的に存在していて、万遍なく楽しみがあったなあと思い出すことがあります。

桃畑で用事が済むまでちょこんと座って待っていると、青々とした葉の間に美味しそうな実がなって良い香りがしていたこと。
雨上がりに祖母に手をひかれて近所の小川に行くと、蛍が星雲のように飛びちがっていたこと。
(当時は箒でさっと撫でるようにしてたくさん捕まえられる程の数でした)

何となく疲れているのかもしれませんが、ふと思い出すと「ああそうだった」と地に足がつくような心持ちになります。あれを見たことは幸せなことだという再認識、あるいは単にノスタルジーというものかもしれませんね。

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2010/06/14 (Mon) 扇の時間

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今年も折り返しに入ろうという時期になりました。一日は長いようなのですが(一週間前のことがもっと前のことのように思えるので)、あっという間に過ぎていて何かを成している感覚を掴むのが難しいものです。

お稽古は、舞台が終わってから新しい曲になりました。5月中旬から長唄「君が代松竹梅」、今月からは端唄「忍ぶ夜」をご指導いただいています。(現在は同時進行中。)長唄は華やかで気持ちが外に外に発散できるのがこの時期に向いていて楽しく、「忍ぶ夜」は先週からなのですが非常に難しい扇の手がついているので、一気に自宅での扇の練習時間が増えています。それこそ入門直後の頃に、要返しが出来ずに指が痛くなりながらも回し続けていた時を思い出しています。

難しいなあと思う手ばかりというのは、反面、放った扇がほとんど取れない状態から、必死で練習しているうちに少しずつ取れる率が上がっていくのがこの上ない喜びです。単純というか幸福感充填感度が高いというか、いかに自分が幸せな性格なのかを自覚しながら、扇を触る時間をなるべく増やそうとしている毎日です。

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Author:椿
冷静と情熱の間で彷徨う日々です。解らなかったことが水滴同士のようにぴたっとつながる瞬間が好き。お仕事は横文字に浸かって、趣味で上方舞を続けています。

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