いろは椿
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2010/01/28 (Thu) 雑念

tentosen.jpg

現在、地歌「鐘が岬」と端唄「柳々」をお稽古で教えて頂いています。曲は数分の短いものであっても先生が及第点を下さる程にしっかり舞えるなんてことは本当にまだまだ遠い身。難しい曲とあればなおのことで、毎回本当に内心(いや顔にも出ているかもしれませんが)必死で覚えています......でも、努力目標がある状態って幸せですよね
動きが硬いのを何とかするのが目下大きな課題です。

両方とも音も美しく、聴きこむとより楽しいのですが、特に道成寺に絡む「鐘が岬」はいろいろ意味を思い巡らせています。
道成寺は和歌山県の日高町にある実在のお寺です。若く美しい僧が真砂の庄司の娘(物語では清姫ということになっています)に惚れられ、逃げた挙句にお寺に駆け込み、娘は逃げられた恨みで追いかけて追いかけて蛇と化し、ついには鐘に巻き付いて焼き尽くすという筋はお馴染みです。お能にしても歌舞伎にしてもその後日談のような形で、お寺が焼けた鐘の供養をしようという日に不思議な美女が出現し、供養のためと称して舞ううちに本性を現し、蛇となって鐘に執着します。

地歌もこの流れですが、長唄同様、途中からくだけて廓の女性の口説き調になります。お能由来だった所に長唄の筋を取り入れたのか、または地歌が先で長唄の方が要素を取り入れたのか、こういう構成になった成立の経緯をちゃんと調べてみたいところです。

少し前に知ったのですが、そもそも女性が成仏するには何となく条件が多いことになってるんですよね(敢えて書きませんが。)この地歌の歌詞には仏教的な用語が随所に入っていますし、そういう背景からしても、この話は単に娘が迫って僧が逃げたということではなかったのでは?と他愛ないことをはたと思いつきました。その上で、成仏することが肝心と考えるなら追いかけるのも無理はない...と同情したりして。(ちなみに白洲正子氏のエッセイでは、清姫の子孫らしき方々がいらっしゃるそうで、美貌の系統のようでした。)何をいまさらという話なのですが、何となく腑におちたので書いてみました。

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つれづれ | trackback(0) | comment(2) |


2010/01/24 (Sun) 「大阪人」天王寺22町特集

osakajin.jpg

昨日、博物館で雑誌「大阪人」の最新号を見つけました。
天王寺特集で、ちょうどご近所のお店もいくつか載っているので購入。

このエリアに住み始めて3年経ちますが、徒歩で行けるにも関わらず未だに四天王寺に行ったことがありません�A�b�v���[�h�t�@�C��
先日付近の「庚申堂」のことを伺って庚申信仰のことを検索してみたらとても面白かったので、そういう興味も兼ねて散歩に行ってみたいと思いながら。

四天王寺さん絡みで、今回の号には、聖徳太子の「十七条憲法」(を読みやすく改めたもの)が全文掲載されていました。6世紀の太子さんの考えに胸を衝かれること自体、あるべき人の道というのは不変なんだなとも感じます。個人的に第十条が印象的でした。(ざっくりまとめ過ぎかもしれませんがご容赦を)
自分が正しいと思うことは相手にとって必ずしもそうではないし、逆もまたしかり。自分は聖人ではないし、相手も愚者ではなく、共に凡夫である。耳輪に端が無いようにお互い変わらないのだから、相手が自分と違うからと言って怒らないようにしましょう、という教えです。
普段でも人の言動に結構すぐカチンと来てしまう私。人格修行も一歩一歩ですね...��

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2010/01/23 (Sat) 大阪歴史博物館

2週間ぶりの更新です。
今年は、どうも年明けから仕事の方が忙しくて、金曜辺りは夕方になってくらくらしてきました(寝不足?)。帰宅して睡眠確保に追われる生活というのも何だかなあと思いますが、2月になれば今よりは落ち着く筈。とはいえ、上半期は波瀾万丈になりそうな勢いです。

そんな中でもお稽古と、それにまつわる思考時間は集中できる至福のひとときです。身体が硬いなあと試行錯誤してみたり、オフィスで脚の筋肉痛に耐えていたりするのも醍醐味と言えます。


さて、今日は夕方時間が空いたので、駆け込みで大阪歴史博物館に行ってきました。先生から「楳茂都陸平展」のことを伺い、見てみたいと思ったのがきっかけです。
rekihaku.jpg
二代目扇性師と続く楳茂都陸平師に関する展示が大半を占めています。関わられた舞踊会や歌舞伎の古い番付もいろいろとあり、かつて芸妓が数千人もいたという大阪・新町で行われていた「芦辺おどり」の番付では振付師として山村若子師(後の三世宗家)、きく師(後の四世宗家)のお名前も一緒に並んでいました。

展示面での興味として、文人としての才能溢れる二代目の書画の数々が素晴らしく、また楳茂都陸平師の振付や舞踊研究面での偉才ぶりは、今までお名前しか知らない私でも目を見張る位でした。舞踊譜というのも初めて見ましたが、独特ですね。
陸平師は昭和6~9年にかけて渡欧されたとのこと。音楽や舞踊に関する研究中のドイツ語と日本語の入り混じったメモも興味深く、試しにいくつかその用語を写してきて調べましたが「4員環」など日本語でもよく分かりませんでした(数学は大の苦手です)
昭和元年の事始めの写真には、「イコサエーダ」という不思議な物体が飾られているのが写っていました。これは二十面体(icosahedron)を示す模型とのこと。(例とした下の画像は平面ですが、これを立体にしたものです)
Icosahedron.gif
使い道が気になりますよね。振りの角度や向きを考えるためでしょうか?(次回のお稽古で先生に伺ってみようと思います。)陸平師は、ラバンセンターの創始者としても名高いルドルフ・ラバンに舞踊記譜法の教えを乞うたそうですので、こういう模型も舞踊理論の一環で使われるものかと想像しています。

ということで、上方舞の他のお流儀にまつわる情報や新たな知識に触れることができて、よい刺激になりました。


余談ですが、この博物館からの大阪城の眺めがとても綺麗です。画像では小さくて申し訳ないですが高層ビルを背景に建っています。
osakacastle.jpg

きくみる | trackback(0) | comment(0) |


2010/01/10 (Sun) 宵えびす

山村若御家元が今宮戎の宝恵駕にお乗りになったので、昨日1月9日の「宵えびす」には朝の船乗り込みから拝見に伺いました。
(画像は船の近づく様子)
f2.jpg
f3.jpg
f6.jpg

「古社名刹 巡拝の旅」という雑誌によれば、宝恵駕行列は江戸時代から続いていて、元禄期に南地花街の芸妓が船場の旦那衆の代わりにお参りしたことにはじまり、18世紀半ばには現在の形式が既に整っていたそうです。明治時代には100挺もの駕篭が出ていたとか。近年は芸妓衆の駕篭に加えて、文楽人形、役者さん、芸能関係者やプロ野球選手の駕篭が加わっている、とのことでした。

今に続く賑やかで華のある行事に、大阪の良さを感じた一日でした。
例年は混雑を避けて残り福が多いのですが、今年は福を生かせるように頑張りたいものです。

よきこと | trackback(0) | comment(0) |


2010/01/02 (Sat) 庚寅歳

tiger1.jpg

新年明けまして、今年もよろしくお願いいたします。

元日は山村流ご宗家にご挨拶に伺いました。制服は紋付の黒留袖です。
お正月飾りの美しいお稽古場で、大勢の門人が一堂にご挨拶。厳粛でありながらもご宗家のお人柄を反映して和やかな雰囲気でした。

その前日、大晦日の伝統芸能ナイトでは、御家元の若先生とご子息である侑さん、侃さんの御三方が舞われた地歌「石橋(しゃっきょう)」を拝見し、こうしたひとつひとつの舞台を丁寧にお務めになる瞬間を積み重ねて、連綿と続く山村流の舞の歴史が形づくられていくのかなあと思うと、心改まる気持ちがしたのでした。

年末年始がお流儀一色というのは今までになく新鮮な感覚です初日の出 pkk
数年前まではやや短距離走な生き方だったなあと思いますが、先の長いことに関わり始めたのですから、2010年も事を焦らず一歩一歩前に進めればと思います。

今後もこんな調子ですが、お付き合い下さる皆さまには温かく見守ってやって下さいませ。


つれづれ | trackback(0) | comment(2) |


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椿

Author:椿
冷静と情熱の間で彷徨う日々です。解らなかったことが水滴同士のようにぴたっとつながる瞬間が好き。お仕事は横文字に浸かって、趣味で上方舞を続けています。

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