いろは椿
2012/05/13 (Sun) 遊びをせんとや

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今年ほど「梁塵秘抄」の歌が耳に入ってくる年もそうそうないのではないかという話はさておき、国立国際美術館の「コレクションの誘惑」展に行ってきました。
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展示フロアのB2階に降りると、常に柱に設置されている須田悦弘さんの彫刻のチューリップ。須田さんの作品は全て好きなのですが、なんと今回は、予想もしなかった「雑草」が展示されていて、嬉しいのと懐かしいのと。小さくて、本物と見紛う彫刻です。以前に見たのは2006年に同じ美術館でした。展示場所も毎回さりげなくて、今回は床の中に。
あまりにささやかで、普段気にも留めない雑草が、こんなに精緻な彫刻になって確かに存在することに元気をもらえる作品です。

所蔵品であってもちょうど展示される訳ではないので、出ているとは思っていなかったのですが、観て回る中で、舟越桂さんの彫刻「傾いた雲」も。吸い寄せられるように眺めてきました。その周りだけ、ひたひたと水が満ちているかのような静謐な空気が流れていました。

個人的にはこの二点だけで大満足です。

絵画、写真と合計300点余り展示されていますので、見応えありますよ。


オランダの歴史家に、人間はホモ=ルーデンス(遊びの人)だと分析した人がいるそうです。

以前読んだ生物学のごく易しい本にも、遺伝子にはエクソンとイントロンとがあって、イントロンは塩基配列のうち転写されるもののアミノ酸配列に影響しない部分ということが書いてありました。
転写の過程で望ましくない変異が起こっても、イントロンがあることで、そんな変異が必ず反映されて遺伝されてしまうことを防げるため、そういう機能らしからぬ機能を果たしているという話だったと記憶しています。

と、ちょっと両方をつなげるのは乱暴かもしれませんが(笑)
実用的な目的に直進する事しかしない、考えない、というのでは私には詰まらないなと思っており、余白のような部分だったり、他の人にはどう見ても遠回りか無駄なんじゃない?と思われるであろうことも、必要な弛みだと思います。だからいつも一生懸命遊んでいます

時々煮つまるので、仕事のように続けないと仕方ないことの中にも小さな遊びを見つける余裕がほしい所です。

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2012/05/06 (Sun) 日曜の中之島

九連休も今日まで。
何かと用事の多い時期の連休は会社に行かないというだけのことであまり実質的に休みにならないので、また別の時期にゆっくりすればいいかしらという積もりでおります。

それにしてもブログで見ると、長岡京にお邪魔してからまだ一週間しか経っていないのに、一ヶ月くらい過ぎた気分なのはどういうことなのでしょう、笑。逆浦島なので(一日千秋?)良いのではないかと自分を慰めてみるのですが。

朝から、東洋陶磁美術館に行ってきました。日曜朝にここに行く、というのは気持ちが贅沢になれるので良いものです。現在はマイセン展が開催されています。マイセンと聞いて浮かぶ豪華絢爛宮廷調というのは、個人的な趣味には一致しませんが、物としての興味で観てみました。

最初はベルリンから逃げた錬金術師をザクセン領主が捕らえて、金を作らせようとしていたようなのですが、そこから陶磁器の製法を研究させるという流れが面白い所。宮廷化学者がいて、協力して製法を模索したようです。江戸時代にヨーロッパに渡っていた景徳鎮や柿右衛門の写しから始まり、時代を追うに従って、現在思い描くようなスタイルに。
写しの時には上手なのですが「この意匠ただ写してませんか?」的な不思議さがあったり(例えば中国では男性の子沢山の吉祥文であり当時のヨーロッパになかった柘榴が玉葱だと思われ、結局その後も「玉葱文」として確立されているようです)、後世になってギリシア神話の場面を描いた展覧会用の大きな壺や宮廷用の食器セット、無数の小花の貼花による緻密な作品に至るとなると彼らの技術の骨頂が感じられて、物の伝播と発展という潮流を思う上で楽しい時間でした。

その後、常設展へ。中国の唐・元・明といった各時代や高麗の陶磁器が収蔵されています。こちらは空いているので、一つ一つ眺めながら思考に遊ぶことができます。元々、墳墓に埋葬する装飾品を作るためとして製陶技術が発達したというのは思いがけないことですね。
油滴天目茶碗という美しい品もあります。私は未だ茶道に暗いので、この器がなぜ歴史を経て人気なのかは門外漢の想像を出ませんが、その漆黒から瑠璃色へと徐々に色が濃く移ろう中に、窯変による銀の斑が星のように数え切れないほど散っている様子が、一服のお茶に宇宙を感じるよすがになるのかな?と思ってみたり。

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人気の展示があると多少混みますが、佇まいが閑静な美術館です。到着した時は雨風が吹き降っていたのが、出る時には晴れていました。

お向かいには中之島公会堂も。
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帰宅してから、ずっと積ん読にしていた「近代歴代 柿右衛門」という本(ほぼ図録ですが)をゆっくり眺めました。こちらは江戸時代に隆盛を誇った柿右衛門の再興に取り組む十二〜十三代辺りの健闘に触れて、焼き物というのは面白いものだという感を新たにしました。

余談ですが、鳳凰、龍、桃、柘榴、唐獅子、牡丹、花鳥文や草木文、元は中国から伝わった意匠にそれぞれ意味や願いがあって、知ると良いものだなと思うのですが、何だか身近にありふれ過ぎて陳腐になってしまったり、ちょっと違う系統のイメージと結びついて敬遠されることもあるのは勿体ないようにも思われました。(とはいえ、私は花や動物が好きなだけで、七福神とか寒山拾得とかの意匠も好き?と言われるとそれはちょっと微妙ですが)

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2012/04/29 (Sun) 緑のお寺

普段いろいろ思いながらも行き着かないことが多く、興味と機会が揃うというのは嬉しいことです。
今日は、先輩ご夫婦に長岡京から善峯寺に連れていってもらいました。西国二十番札所であり、西山宮門跡とあって随分由緒のありそうな場所です。

山門から境内へ。
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「遊龍」という、全長30mを超す五葉松が有名だそうで、そこから「松の寺」とも呼ばれるそうです。
経堂と多宝塔の横に根ざしていましたが、この松は臥していて、全長というのは横にずっと伸びているのを支えられているのです。樹齢600年。いかにも洒落た命名だと思いながら眺めてきました。(長すぎて写せませんでした)

さて、内部は、七代目小川治兵衛作の回遊式境内になっています。境内だけで約三万坪というのですから広さは推して知るべしという所ですが、一山まるごとお寺、といった感がありました。桜と紅葉が特に美しく、JRの京都ポスターにも春・秋ともに使われる景色のようです。今日は既に枝垂れ桜も終盤でしたが、まだ残っている辺りやはり気温が低いのでしょう。名残りの花から盛りに思いを馳せました。

八重桜はまだ咲いていました。
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姫シャガ。平地では最近減ってしまったようなのですが、山地とあってこれ以外にも傾斜にはたくさん咲いていました。
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参拝順路は傾斜もかなり急ですが、合間に京都市内への眺望が開けるのが楽しい所です。歩き進むうちに、随分高くまで上ったことが分かります。
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更にぐるっと歩き回って、滝まで行ったら降りようということになりました。いざ辿り着いた青蓮の滝は水が滴り落ちるようなささやかなものでしたので、あら?という場面もありつつ、水音や水辺というのはそれだけで気分が爽やかになる効果も。

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お寺の建造物も勿論立派なのですが、それにも増してとても印象的だったのは、紅葉がいたる所に植えられていて、この季節は青葉が辺りを萌黄色に染めるように輝いていたことでした。少し曇り空の下でも、鮮やかさはこの上なく。周りの山々の借景も、緑って濃いも薄いもこんなに多様なんだなと改めて感じさせてくれました。

阿弥陀堂から下る坂道では、見上げていると、青々とした紅葉がまるで星が折り重なって降ってくるかのような美しさでした。
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携帯カメラでは限界があるので、また一つ、眼の記憶にとどめて。
秋にはこれが全て緋色に染まる訳ですから、再訪して眺めてみたいものです。



などと、お寺なのに花萌えで写真ばかり撮ったりトカゲを見つけて喜ぶ私(爬虫類好きですみません...見ないんですよ、大阪ではあんまり)を快く連れて歩いてくれたお二人に感謝感謝です☆
山道を歩き回りながらのこのお二人のキュートなやり取りがとても素敵で、その楽しさとともに善峯寺の記憶が刻まれたひとときでした。

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2012/04/08 (Sun) 今年の桜

今日の大阪は綺麗に晴れたので、お昼前にお花見を兼ねた散歩に行ってきました。

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大川沿いは、全体では七分咲き。木によっては満開のものもありますが、まだ花のくす玉のように咲き揃った部分は半分位かなという印象でした。

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鳩もお花見。

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ところどころまだ薄紅色の蕾が残るのも良いものです。

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紅白の幕があるとちょっとお芝居を思い出すような。

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2012/04/08 (Sun) 日曜美術館を観て

テレビを観ての感想なんて、ツイッターで呟けば済む話なのですが、
時々、流れていってしまう呟きでもなく、スタンスが未だによく分からないFacebookでもなく、結局はブログに書きたい時というのがあるものです。
(何にしてもデジタル時代に毒されているんじゃないの?といえばそれまでですが。)

さて、今日の日曜美術館はクリムトでした。
横尾忠則さんがゲスト解説の回で随分前から楽しみにしていたのですが、取り上げる画家が画家だけに、NHKとは思えないぎりぎりの説明が展開されてちょっと観ながらはらはらする程でした(笑)

普段、一番悩ましいのは詰まるところ人間だなと思いながら過ごしているのですが、また、不可解すぎて面白いのも人間で、どこを切っても、さながら金太郎飴のようにその人の一部が出てきてしまうものです。
ある人の個性を語ると、他人が語るその言葉にさえも個性の片鱗が色づいてしまうようにも思われました。

クリムトは、私自身がもともと好きだったというよりは、私が特に影響を受けてしまう人がクリムト好きという確率が学生時代から妙に高く、それで気になり始めた画家です。
それまでは、「接吻」は綺麗だけど特にこの画家という訳ではないなあ、でも何だか気になる、と思っていた位でした。
それが、2003年に兵庫県立美術館で展覧会があった時、初めて実物の数々を観ましたら、雷に打たれたかと思う位に美しかったのです。抗い難い魅力があって、絵の前に立つとその引力から離れられないといった状態。何時間も美術館にいて、後ろ髪をひかれながら帰ってきたのを思い出します。(ちなみに「接吻」は門外不出なので来日していませんでした。)

今日の番組を観ていて、やっぱり心底女性が好きで好きでたまらない人でないと、ああいう作品は作れないんだろうなと感じたり、だからあんなに生々しくも美しいんだなと腑に落ちました。
また、晩年に風景画を好んで描いていたというのも頷ける話でした。全てが飽和すると自然に還りたくなるのは天才ならずとも、という所ですが、その結晶を絵画という作品で見ることが出来るのは後世にとっての幸せだといえます。

今年はクリムト生誕150周年らしく、ウィーンに行きたくなってしまいましたが脳内旅行で我慢します。

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どんな人?

椿

Author:椿
外国語熱やフランスかぶれを経て日本の楽しさ・奥深さに開眼。三度のごはんより上方舞のお稽古が大好きです。伝統芸能の舞台を観にあちこち出没することも。

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